~ 影があるから、光はかがやく ~
岐阜県高山市にある、飛騨千光寺の住職 大下大圓氏の講演会がありました。『エンド・オブ・ライフケアと臨床宗教』 と題して、“死生観”についてのお話でした。大下氏は、「臨床宗教師」という資格をもちます。臨床宗教師とは、宗派を超えて、死が近い人たちの心のケアをする宗教家です。“布教をしない・教義を押しつけない・人格を尊重する” を 基本として、公共の場で心のケアをします。東日本大震災を契機に活動が始まり、苦悩や悲嘆を抱える人々に向き合ってきました。大下氏は、20年以上前から、がんの告知や臓器移植、自殺予防などの問題まで、学習会を通して幅広い活動をしてきています。研修医に臨死体験をしてもらう、というユニークな研修も行っています。当日の話は、脳内ホルモンや瞑想まで多岐にわたりました。もっと活動が広がって欲しいと感じました。講演会では、大下氏から会場に質問が投げかけられました。「死んだら自分の命はどうなると思うか?」四つの選択肢から選ぶものでしたが、挙手された回答は、皆ばらばらでした。生死に対する考えは、人それぞれ、まさに人生いろいろ、と納得させられた瞬間でした。
平成29年に行われた、岡山県のアンケート調査では、「病気などにより、自分で判断できなくなった場合に、受けたい医療や受けたくない医療について、家族と全く話し合ったことがない」という回答が55%でした。誰に対しても必ず訪れる、人生という舞台の幕引き。自然の摂理なのに、忌み嫌われるだけの傾向があります。
以下、当院の診察室で交わされた、患者Aさんとの会話です。齢80を過ぎ、明らかに足腰が弱っていましたが、体操や散歩をすすめても、「たいぎな」 の一言です。
Aさん:「もう、おえん。はよ~逝かんとおえん。何とかならんかの~?」
私:「神様のところは、今いっぱいなんです。高齢化で混みあっているそうですよ。順番待ちです、順番待ち。」
Aさん:「そうかの~、まだかの~、はっはっは!」
診察のたびに、同じ会話が交わされます。だんだん私の返事を心待ちにしているかのように、「もう、おえん・・・」と言いながら、顔がニヤニヤしています。その後、骨折がきっかけで入院となりました。退院してからは訪問診療となりました。認知症が進行していましたが、顔を覚えて下さっており、診察の途中で 「もう、おえん・・・」。たったそれだけの会話でも、Aさんの“心づもり”は、伝わってくると思うのです。人生いろいろ、死生観もいろいろです。
穏やかな、自分らしい、より良い最期を迎えるための、本人の“心づもり”。老若男女問わず、病気などで、意思表示ができなくなった際に、延命治療などに対する本人の希望を残しておくこと。「リビングウィル」、「事前指示書」ともよばれます。ご自身で書いたものを、当院に持参された患者さんもおられます。素晴らしいことです。影があるからこそ、光はかがやいて見えます。尊厳ある最期を考えることは、どのように生きるかを考えること、命のかがやきを実感することでもあるのですから。