平成27年11月1日 まちかど博物館内視鏡の歴史(胃カメラを中心に)

平成27年のまちかど博。街の将来を見つめることは大切ですが、街の歴史を知ることは、それ以上に大切なことだと実感します。医学の発展も同じです。未来を見つめながらも、先達の苦労を知り、足元の歴史を知ることで、より良いものとなっていくのではないでしょうか。参加にあたり、そのようなことを考えました。「内視鏡の歴史~胃カメラを中心に~」と題して、パネル展示とビデオ上映を開催しました。

一般に「内視鏡」とは、人の体内に挿入して、内部を観察するための装置を言います。その歴史は古く、ローソクの明かりを鏡で反射させて観察しようとしたものや、単なる筒状のものを口や尿道から挿入する方法がとられました。1868年ドイツの内科医クスマウルは、見世物でヨーロッパ各地を巡業していた“剣呑み師”(口から剣を呑みこんで抜いて見せる)に、「胃鏡」という筒状のものを飲んでもらうことに成功したとされます。しかし、胃の中の観察自体は困難だったと思われます。1898年、最初の胃カメラといえるものを開発し、胃内の撮影に成功したのは、日本人ではなく、ドイツのランゲおよびメルチンでした。のちの日本の胃カメラとよく似た機器ですが、鮮明な画像は得られず、その後の発展はなかったようです。

半世紀を経て、日本では昭和25年、東大外科の宇治達郎によって、胃カメラが開発されました。ガストロカメラと呼ばれ、宇治が思いつき、技術者である杉浦睦夫と深海正治の協力により開発されました。作製の経緯については、吉村昭の「光る壁画」で、杉浦の立場から描かれた胃カメラ開発の様子が小説化されています。しかし、その後は機器の開発は頓挫し、撮影も難しく故障があまりにも多かったため、半ば放棄された状態となります。昭和28年より、東大内科の﨑田らの精力的な研究により、再び臨床応用に向けて、機器の改良が続けられることになりました。研究室・メーカーともに苦労の連続であったようです。

昭和32年アメリカのハーショヴィッツが、「ファイバースコープ」を発表します。数万本を束ねたガラス繊維を利用したもので、はじめて胃の観察に用いられました。3年後に欧米で市販が始まりましたが、裏話では、日本に売るとすぐに真似をされるということで、当初は日本への輸出が禁止されていたそうです。さらに20年を経た昭和58年、先端にCCDと呼ばれるセンサーを組み込んだ「電子スコープ」がアメリカで開発されます。その翌年からは、早速本邦でも開発が進められ、今や日本が世界市場を席巻するまでになっています。経鼻内視鏡、カプセル内視鏡・小腸内視鏡・内視鏡を用いた治療など、新技術の開発は今でも続いています。

最初の胃カメラといえるドイツのものや、アメリカでのファイバースコープの開発、そして電子スコープの開発など、最初は日本発という形ではないものの、その後の機器の発展や普及は、日本が常にリードしています。このことは、日本が胃がん大国であることも無縁ではなく、医師の熱意や需要の大きさもあったと考えられます。今や電子スコープが当たり前の時代ですが、「胃カメラ」という言葉は、胃の内視鏡検査の代名詞となっています。

どれだけ素晴らしい偉業も、それを受け継ぎ、技術を発展させる努力が続けられてはじめて、本当に価値あるものになっていくのでしょう。医療にとどまらず、いにしえの先達の努力や苦労を知ることは、感謝の念と謙虚な気持ちで学びを深める機会になると感じています。

「胃がん撲滅元年」とされ、ピロリ菌の除菌が胃炎にも保険適用となってから、もうすぐ3年になります。早ければ来年度から、がん検診に胃カメラが導入されそうです。当院も、微力ながら貢献できるよう体制を整えていきたいと考えています。
 

 
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