~聞かせてください、その痛み~
“痛み”とは?国際疼痛学会の定義がありますが、何とも分かりにくいものです。痛みは、知覚だけでなく、感情的にも「不快な体験」で、感じ方は人によって違うということが述べられています。血液検査や画像検査などで、訴える痛みの強さを測定することはできません。感じている本人にしか分からないのです。医学が進んでも、痛みを聞き取り、フェイススケール(図)のようなもので評価するしかありません。痛みには、外傷など、組織が破壊されるときに感じる痛みのほか、神経が障害されたときの痛みがあります。それらが無いのに、脳が痛みを感じる場合もあります(心因性)。そして、死に直面した時に生じる苦痛(スピリチュアルペイン)。放置された痛みは局所の血流低下を招き、痛みを悪化させるということが分かっています(痛みの悪循環)。日本人は、痛みを我慢することを美徳としてきましたが、速やかに取り除くことが大切なのです。
幼少時、交通事故にあいました。車の下敷きになった私を見た人は、生きているとは思えなかったでしょう。注意を守らず、自転車でT字路を飛び出したことが原因でした。私には当時の痛みの記憶がありません。むしろ精神的ショックと、幼心にも「大変な事をしてしまった・・・」という、自責の念の方が大きかったからだと思います。このように、情動によって痛みが変化(改善したり悪化したり)することは、みなさんも経験があるのではないでしょうか。他にも、痛みに限らず、症状に効く薬の開発では、偽薬(成分を含まないもの)でも効くことがあります。効くと思って服用すれば効くこともあるということです。医師も患者も、偽薬か本物(実薬)か分からない状態で試験を行い、偽薬よりも有効であることが分かれば、効果ありとされるのです。
有効な鎮痛剤の無かった江戸時代、世界で初めて、全身麻酔を用いて手術に成功したのは、紀州の外科医、華岡青洲(1760~1835)。「通仙散」とよぶ麻酔薬(チョウセンアサガオを主成分とする)を独自に開発し、乳がんの手術に成功したのは1804年。激痛に耐えるしかなかった当時の外科手術。通仙散の処方を秘伝にしたことが、日本における麻酔の発展を遅らせたとの批判もありますが、本当なのでしょうか。 20年にわたる実験の過程で、母親の命や妻の失明と引き換えに、心血を注いだ通仙散。青洲は、その危険性も考慮し、濫用を防ぎたかったのかもしれません。(図:切手 華岡青洲とチョウセンアサガオ)
痛みは、とても「主観的」なものです。症状を聞かせていただき、一緒にその正体に迫りましょう。こころの痛みも承ります・・・。青洲の業績から200年以上が過ぎました。通常の鎮痛剤にはじまり、神経痛に有効な薬や、治療用麻薬の進歩など、内科領域でも外来で使用できる、安全で有効な選択肢が増え、日々の診療に貢献しています。