2014年4月
 
~幻の? STAP細胞~
 
あらゆる細胞に変化する能力をもつ万能細胞。iPS細胞に次ぐ、日本発の快挙として注目されたSTAP細胞。ところが、ここにきてSTAP細胞の存在自体が疑問視される事態に・・・。iPS細胞の山中教授は、「切断した指の再生など、iPS細胞にはできない50年~100年後の新しい治療を実現できるかも」とコメントされていたのに。そんなニュースを見ながら、埋もれていた記憶が呼び起こされました。

わら焼きの臭い漂う秋の夕暮れ。当直帯に入り、来院した患者さんは、切れた自分の指を持ってきました。農作業中の事故。指の断端には泥とわらが付着し、根元をひもで縛っていました。「もう、生えてこんのでしょう?」麻酔が効いてきたのか、患者さんは冗談ぽく、落ち着いた様子でたずねました。落胆した気持ちを紛らわすようなその言葉に、余裕のない私はどのような返事をしたのか覚えていません。21世紀は再生医療の時代と言われますが、指が生えるレベルにはほど遠いものがあります。

大学へ戻ってからは、研究生活にどっぷりとつかりました。毎週必ず結果が求められる厳しい研究室でした。複数の実験を分刻みで行います。1年上の先輩は3か月遅れで外国の研究者に先を越されて仕事が頓挫。まさに「生き馬の目を抜く」世界。失敗は当たり前ですが、スピードと合理性が追及されます。仕事は論文だけで評価されます。そんな時代には、「細胞生物学の歴史を愚弄している」と、STAP細胞の小保方氏が酷評されたように、思いがけない形で突破口が見いだされるのでしょう。怒涛の研究生活。回り道のようでいて、“医は仁術”であると同時に、“科学である”ということを思い知らされたのでした。

余談ですが、前述の話は、広島県下で最低気温を記録する県北での思い出。気持ちの中で、喜びも悲しみもひっくるめて、初心に回帰できるところです。官舎までは50mほどの距離。しんしんと冷える冬の夜、街灯に慣れた自分にとって、貴重な“漆黒の闇”というものを経験しました。足元には雪積があるはずですが、一寸先は闇。文字通り、“手さぐり”で帰宅しました。蛍雪の功、“蛍の光 窓の雪~♪”といいますが、月の光でもない限り、窓の雪で読書はできないことがわかったのでした。。。