2014年2月
 
~神谷医師 生誕100年によせて~
 
去る1月11日岡山市民会館で、医師 神谷美恵子さんの生誕100年を記念した集いがありました。神谷先生は大正3年に岡山市で生誕。43歳から15年間、精神科医として長島愛生園に勤務され、ハンセン病患者さんの悩みに寄り添いました。65歳で生涯を終えるまで、精力的な執筆活動もされています。愛生園入所者で、当時の神谷医師を知る石田雅男さんも参加されました。22歳の頃、絶望の淵で自ら命を絶とうと考えたとき、神谷先生から「健康は失ったが、それに代わるものが、あなたを大きく支えてくれる」と声をかけられ救われたそうです。石田さんの話す口調は一言一言を噛みしめるようで、姿勢を崩さず静かに語りかける様子が印象に残りました。

神谷先生が医師を志したのは、19歳のとき。叔父に連れられハンセン病療養所を訪れたことがきっかけだったようです。愛生園で患者とふれあい、思索を深める中で、自らの使命感や日々の葛藤、ハンセン病者の悩みを、同じ目線から著作に残しています。『生きがいについて』が代表的なものとして有名です。この中で愛生園の入所者に対し、「なぜ私たちでなく、彼らが病まねばならないか」「彼らが私たちに代わって病んでいるのだ」と述べています。本書は、哲学・心理学・精神医学的な観点からの客観的な考察のため、少々難解です。一方、その続編とも言える『人間をみつめて』は自伝的内容で読みやすくなっています。神谷先生の思いに少しでも近づくことができます。生きがいを感じる心は「使命感」であり、「謙虚な反省」と「あらたに道を求める祈りの姿勢」を忘れないことが大切だと述べています。生きがいは、求めて手に入れるものではないということでしょう。『こころの旅』では人の生涯における、こころの変遷を温かく語っています。『神谷美恵子日記』には自身の日常生活の中での、医師として、妻として、そして母親としての思いや葛藤が記されています。日記には、物語のように繊細な風景描写もみられ、感受性豊かな方だったのだと分かります。

東日本大震災後、CMなどでしきりに流れる「がんばろう日本」という言葉に、何とも言えない違和感と嫌悪感を感じてきました。神谷先生が生きていらしたならば、決してそのような声かけや、気軽に「寄り添う」などという言葉も使わなかったに違いありません。先日の集いでは、102歳で医師の日野原重明先生の講演もありました。神谷先生が存命されていれば、100歳と102歳・・・どんなに素晴らしい対談が実現したことかと、思いを巡らせながら帰路につきました。

(長島愛生園の歴史館では、「医師神谷美恵子が見た世界」を開催中です。直筆のカルテや島での写真なども展示されています。)